今年の誕生日を迎えて。

12月4日にFacebookに投稿したもの。
 
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3日前に誕生日を迎え、皆さまに、投稿や、メッセンジャーなどなどで、お言葉をいただき、本当に嬉しい限りでした。改めまして、ありがとうございました。
45歳になりました。

年齢は公表するもしないも、個人の自由だと思いますが、私はこの世に生を受けてから、経過した時間、刻んできた時間は、今世の自分にとって、かけがえのない大切な実績だと思うのと同時に、その時間は決して一人で刻んだものではなく、その原点の両親への感謝、経過した時間毎にお世話になった人々、数多の存在への感謝を忘れないように、また、思い出すために、毎年、しっかり意識したいと思っています。
以下、長くなりますが、皆様への感謝と共に、自分の記録として、そして、 まだまだ若輩者ながら、セラピストとして、何かしらの痛みを抱える方のお役に立てればと、今年の私を綴りましたので、ご興味あらば覗いてみてください。

誕生日が12月ということもあり、同時に一年を振り返るきっかけにもなるのですが、今年は何と言っても、4年半ぶりにライブを再開できたことが、私にとっては最大の出来事でした。世の中の最大事件は言うまでもなく別にあるわけですが、再始動ライブは、運よく世の中が「閉鎖」される前の2月中に2本続けて実現し、緊急事態宣言期間も、自宅で弾き語りライブをやったり、その後、ありがたくもコロナ対策万全で、私にとって地の利もあるライブハウス「宮内家」さんへの出演デビューをさせていただけたことで、音楽活動が止まっていると感じた時期は一切なく、むしろ、それまでの冬眠期間を思うと、個人的には、泣けるほど充実した時間を過ごせたように思えます。それも、どんな環境下でも、支えてくれている家族や、古くからも、新たにもご縁をいただき、日々、お世話になっている方々のお陰です。感謝の限りです。

一方で、身体的には平均よりは少し早い過渡期を迎えていて、昨年に続き、自律神経の乱れからの不調を抱えながらの一年でもありました。片頭痛は症状はありつつも、昨年よりはだいぶよくなっていますが、今年・・・というより、この人生で、ヴォーカリストとして一番悩まされたのが、副鼻腔炎からの「後鼻漏」でした。以前から持っていた症状ではあるのですが、今年1月に発症した今回の症状は重症で、一年近く続いたことになります。酷い時には、一言声を出すたびに咳き込み、大好きな歌なのに、とにかく苦しいだけで。それでもライブをやりたくて、専門の治療をしてくれる遠方の耳鼻科に通いながら、なんとか準備をして、でも、完治には程遠い状態で、本番を迎えていました。どの本番も、アドレナリンのお陰か、歌の間はなんとか咳き込まずに済んでいましたが、(汚い話で恐縮ですが)常に鼻の奥に鼻水(痰)を抱えている状態なので、苦しい上に、状態が悪い道具で音を出している状況に、ずっともどかしさを感じていました。が、ようやく、ようやく、このところ、まだ症状は残ってはいるものの、歌っている時の咳き込みがほぼなくなり、自由に歌えることがこんなにも気持ちがいいことなのかと、足にはめられた鎖が外れた気分で、改めて、歌えることの喜びを実感しています。弱い部分なので、再発も覚悟しつつ、また、人間の身体の機能は必ず衰えていくものですが、その中でも回復する機能があることを実感する度に、大げさながら、生命の神秘と生きる希望を与えられています。

ライブの再始動の年に、環境的にも体調的にもいろいろな足かせがありましたが、それでも、自分の意志で自由に活動できる時間を生きられたことは幸せでした。再始動したライブ活動は、まだまだ試行錯誤の真っ只中で、未だ体調も万全とは言えませんが、音楽活動に限らず、これまでのどんな経験も、 自分の人生として、自分にしかできない経験で、そして、私は歌を歌うことに、魂の喜びを深く深く感じるので、それを歌に乗せて歌っていきたいと思います。

・・・と今年最後のような投稿になってしまいましたが、まだ、ぼちぼち出現する予定です。

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